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池波正太郎の人生を一ファンとして可能な限り調べてみます。所詮は池波さんの書いたものに頼るしかない素人と年表ですが、池波正太郎とその作品に理解に役立つかもしれません。 FIRST UPDATE 00.02.22 *( )内は参考文献略称、参考文献は "その参" 最下段に記載 lastupdate 00.06.05 

 

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年   月出来事エピソード
1923年 1月25日
大正12年
誕生。 父は富治、母は鈴。東京・浅草聖天町に生まれる。 
1923年 9月
大正12年
関東大震災のため。埼玉県浦和市に転居。六歳の正月まで過ごす。
1929年
昭和 4年
東京へ戻り、下谷・根岸小学校へ入学。 父、下谷の上根岸で撞球上を開業。 両親の離婚により、浅草永住町の母の実家で暮らし始める。 下谷/西町小学校へ転入。
1935年
昭和10年
西町小学校卒業。現物取引所・田所商店に勤める。 半年後、同店を辞め、株式仲買店松島商店に入る。 ◎後に、「剣客商売」秋山小兵衛のモデルとなる、 別の株屋に勤めていた吉野さんという老人に出会う
**(ケ)
同様に、秋山小兵衛の風貌は歌舞伎俳優・中村又五郎の素顔からイメージする
 **(ケ)
同様に、株屋時代にであった三井老人からも
 **(ケ)  
1941年
昭和16年
日米開戦。
1942年
昭和17年
国民勤労訓練所に入る。後に、芝浦の萱場製作所へ入所し、旋盤機械工になる。
訓練所のときに、訓練風景を描いた短文「駆足」を書く。
1943年
昭和18年
所内の様子を描いた作品を「婦人画報」の「朗読文学欄」に投稿し、数編が入選する。
「婦人画報」五月号 「休日」が選外佳作。
同 七月号 「兄の帰還」入選。(賞金五十円)
同 十一月号「駆足」が佳作入選。
同 十二月号「雪」が選外佳作。
岐阜県・太田の新工場で徴用工に旋盤を教える
1944年
昭和19年
横須賀海兵団に入団。武山海兵団内の自動車講習所に入り、ついで横浜磯子の八○1航空隊に転属。 元日、名古屋の大同製鋼に徴用されていた父・富治郎と再会。
1945年
昭和20年
3月10日の大空襲により浅草の家が焼失。
5月、鳥取県米子の美保航空隊基地に転出し、 通信任務に当たる。 水兵長に進級する。
同基地で敗戦を迎え、ポツダム二等兵曹となる。 8月24日に帰郷する。
1946年
昭和21年
下谷区役所に勤務し、DDTの散布などに従事する。
戯曲「雪晴れ」を読売新聞社の読売演劇文化賞に応募、選外佳作となり、新協劇団で上演される。
戯曲「雪晴れ」については入選 とかいてあるものもある。
1947年
昭和22年
第二回読売演劇文化賞に、「南風の吹く窓」が選外佳作となる。
このときの選者に長谷川 伸
がいた。
戯曲「南風の吹く窓」については 佳作入選 とかいてあるものもある。
1948年
昭和23年
戯曲「牡丹軒」「手」を書く。
夏、長谷川 伸を訪ね、戯曲を読んでもらう
1949年
昭和24年
第二回読売演劇文化賞の選者だった長谷川伸の門下生となる。
戯曲「蛾」を書く。
1950年
昭和25年
7月、片岡豊子と結婚する。
戯曲「偕老同穴虫」他、多数の戯曲を書く。
1951年
昭和26年
戯曲「鈍牛」が新橋演舞場で初上演される。 
以後、10年間に渡り、新国劇の脚本を執筆する。
1952年
昭和27年
戯曲「檻の中」が新国劇で上演される。
戯曲「そろばん紳士」を書く。
1953年
昭和28年
戯曲「渡辺崋山」が新国劇で上演される。
1954年
昭和29年
長谷川伸の勧めにより小説を書き始める。 短編「厨房(キッチン)にて」を大衆文芸10月号に発表。
戯曲「春の虹」を書く。
1955年
昭和30年
目黒税務事務所を退職し、執筆活動に専念する。 
大衆文芸二月号に「禿頭記(とくとうき)」
同 四月号に「太鼓(ドラム)」
同 六月号に「波紋(はもん)」を発表。
同 十二月号に戯曲「名寄岩」を発表。 一月新国劇で初演出。
四月 新国劇で「夫婦」上演。
戯曲「足」、他にラジオ、TVの脚本多数執筆。